コラム〜教育図書館所蔵資料から(13) 目次
小学生徒体操之図
小学生徒体操之図
 明治初期,日本での体操の導入・普及は難しいものでした。まず,明治5(1872)年の学制公布により下等小学の教科として「体術」が定められましたが,従来の武道とは異なる体術について先例がなく,実際には指導することは困難な状況でした。翌6(1873)年に「小学教則」で「体術」が「体操」に改められ,またフランス人ベルギュ(C.Vergnes)の『体操書』が翻訳されて「体操」の内容は紹介されましたが,実際に体操が本格的に広まっていったのは,明治11(1878)年体操伝習所が設立され,米国からリーランド(G. A. Leland)を招請してからになります。
 リーランドは「普通体操」として伍列(ごれつ)編制(行進法と整列法)と技芸(徒手体操と手具体操)を導入しました。そこから行進・整列と徒手体操,そして亜鈴(あれい)・球竿(きゅうかん)・棍棒(こんぼう)等を使用した手具体操が広まっていきます。その後,明治19(1886)年の「小学校令」で体操科が必修科目となり,ようやく定着していきました。
 『小学生徒体操之図』は,亜鈴と球竿による体操のやり方を錦絵で紹介したものです。





小学生徒体操之図(しょうがくせいとたいそうのず) 楊洲周延画, 1886 
貴重資料デジタルコレクションで見る
【参考文献】
  • 学制百年史
  • 【2019.06作成】