「国立教育研究所広報第118号」(平成11年1月発行)



大学は危機か ― 揺らぐ教授職



ボストンカレッジ教授 フィリップ・G・アルトバック(Philip G. Altbach)



1.高等教育をおおう暗雲
 大学は、これまで経験したことのない苦境に立たされている。直面している問題は多岐にわたり国によって異なるが、大学に籍を置く者が将来に不安を抱かずに研究に没頭できる、そうした地域はほんの一握りであろう。それでもなお、世界各国共通の課題が幾つかみられる。
 財政支出の緊縮 例外なく、高等教育への公財政支出の在り方が問われている。増加の一途をたどる高等教育費を賄うに当たって、政府は不承不承応じている、できれば抑制したいという姿勢さえみせている。学生数の拡大とともに、最新技術の導入、教職員給与費の高騰なども経費が膨らむ原因となっている。予算は削減、あるいは頭打ちで学生数の増加に見合う措置が図られないため、大学は財政的課題にいかに対処するか、深刻な悩みをかかえている。
 受益者負担への趨勢 国庫負担の軽減に関連して、高等教育費をだれが負担すべきかという問題が浮上してくる。ほとんどの西欧諸国では伝統的に高等教育は税金で賄われてきた。授業料は極めて少額であるか、全く徴収されないことすらある。こうした現状に異議が唱えられ、経費を調達する資金源として、受益者負担への移行が顕著となってきた。公正、財政的安定性、機会均等をめぐるこうした議論においては、意見が分かれている。
 国公立大学の私学化 日本などの例外はあるものの、世界的にみて大学生の大半は、私立ではなく国公立の高等教育機関に在学している。そこで、教授費のうちかなりの額を学生個人に分担させる、また、各大学に対し自ら収入を生み出す手段を講じるよう示唆するなど、国公立大学を私学化する動きがみられる。こうした情勢に応じて、授業料を値上げする、ビジネスを創業する、学内施設の使用料を徴収する、産学協同路線を敷く、海外に分校を開設するなど、大学側も苦肉の策をとっている。既存の私立大学も、世界のいずれの地域でも社会的役割において重要性を増している。その主要な財源を公費助成に頼っている国においてさえ、私立大学は飛躍的に成長を続けている。
 情報技術の影響 高等教育にも容赦なく情報化の波が押し寄せているが、その重大さに関しては認識不足といわざるをえない。図書館の蔵書・研究成果をはじめとする情報の検索と蓄積、組織の運営、研究の実施計画、コンピュータを利用した大学内での講義、遠隔教育コースでの在宅学習、さらに教授と学生・その他の職員をも含む大学内及び大学間相互の連絡など、広い範囲にわたって情報技術は影響を及ぼしている。情報機器は購入にも管理にもかなり経費がかかるし、絶えず更新しなければ時代遅れになる反面、従来どおりの大学の講義に導入するのは困難を伴うことが判明した。それに加えて、そうした設備を効率的に活用できるよう教職員を訓練するのにも時間と費用を要する。
 基礎研究・大学院教育への危惧 19世紀以来ずっと、大学、とりわけ学術研究機関として最高峰に立つ研究大学にとっては、基礎研究が本分とされてきた。事実、世界的な基礎研究の大半は大学が担ってきたのである。博士課程在籍中に、学生を研究職及び専門職にふさわしい人材に育成することが大学院教育の目的であり、それが研究の推進に結びついていた。現在おかれている財政環境にあっては、大学がこうした社会的役割を全うしていけるかどうか疑問である。もし、それが困難になれば、研究はどのように推進されるのであろうか。そして、次世代の研究者や科学者はどこで育てられるのであろうか。
 国際化の進展 知識はますます国際性を深め、世界中の高等教育機関は相互の連携を強めていく。情報技術がこれに拍車をかける。今後その伸び率は鈍るにしても、留学生、および外国を活動の本拠地とする研究者の数も増え続けるであろう。高等教育のための行財政システムについてはさらに改編が望まれるものの、国際化は暗い話題の多い高等教育の現状にあって、一筋の光明である。
 
2.大学教授の行く末
 一般に大学の将来について論じる場合、教授をはじめとする大学教員についてほとんど触れないようだが、これは奇妙なことである。政府の施策や行政の権限に流されること、大学に籍を置く者は新たに出された通達や指針に従うことが当然の成り行きとされている。確かに、最近の20年間を振り返ってみても、教授たちはあえてリーダーシップを発揮しようとはしなかったし、他の勢力が先手を打っても抵抗したことはなかった。裏を返せば、少なくともこれまで大学教員は激しい変化に翻弄されずに済んでいたのである。非常勤や期限付き任用の教員比率が増えたものの、専任教員が突然解雇されることは稀であった。多くの国で教員給与は横ばいか、むしろ下降気味だが、ロシアのような例外は別にして、大幅な減給は免れてきた。教授会は現在でも教育課程編成権や学位授与権は手中に収め、既得権益はほぼ安泰という感触をもっている。しかし、大学事務局の行政管理職員の躍進と学問研究に対するアカウンタビリティ(社会的説明責任)の追求に伴い、教授会の権限は確実に後退している。
 このような変化は前途多難を暗示している。専任教員が教員総数の過半数を割ることになると、高等教育機関はどのように管理運営されることになるのか想像がつかない。行政管理職に権限が委譲される方向は避けられないであろう。これまで主に専任の教授が大学で行われる研究をおおむねとり仕切ってきたし、外部から委託研究の機会も獲得してきた。しかし、高等教育への進学率や専攻分野別志願者数の予測が困難な時期であるだけに、研究費の確保や学生の選好に柔軟に対応できる人事をするため、大学教員の陣容はあからさまに歪められてきている。
 大学教員の未来像を描いてみれば、次の幾つかの面で従来の教授職とは異なると思われる。
 ・終身雇用を保障された専任のポストが減る。
 ・非常勤教員、すなわち特定の講義や授業のみを担当し、教授会組織にはほとんど、あるいは全く関わりをもたず、学生との交流も乏しい教員が増える。
 ・専任であっても任期制のポストが増える。これらの教員は、腰を落ちつける先の見通しが立たないまま複数の大学を渡り歩く「教授浪人プロレタリア」とでも呼べそうな階層を構成する。
 ・大学教員は、性別、人種、国籍といった点で多様性を増す。アメリカをはじめ幾つかの国の大学では、助教授以下・任期制の教員においてそうしたケースが既にみられる。
 ・大学教員の研究志向が乏しくなる。研究に勤しむことのできるポストに就くことはさらに難しくなる。
 ・全体として、教員の学問的水準は低下する。「トップクラスの優等生」が大学に就職することに、それほど魅力を感じなくなるからである。
 このように、大学教員は専任であっても安閑としていられない情況にある。教授陣は大学の大黒柱であるから、制度の根幹をなす研究者や科学者の資質が大きく変容すれば、大学管理の在り方、そして教育や研究の遂行にも抜本的な変革が必至となる。
 
3.警鐘への対応
 高等教育の実情をみると、世界各地域とも共通して恵まれた時代とは到底いえない。大学教員は、どこでも厳しい非難を浴びている。各方面から批判されても、政府に予算を削減され高等教育政策の優先順位を下げられても、大学幹部は大学の立場を主張する有効な手だてを見出せずにいる。学界は声を合わせて発言しようとしない。実際、一般に口を閉ざしたままである。現代社会において大学は、自らの役割について将来ビジョンを掲げなければならないはずであるし、また知識の蓄積や社会の発展に寄与してきた過去の実績を提示すべきである。
 こうして問題は山積しているものの、大学は消滅の危機に瀕しているわけではない。大学改革が推進されても基本的には現行の姿をとどめ、新たな世紀を迎えても健在であろう。学生はこれまでのように学位や資格を求める。高度な専門職に就く人材の育成に当たる大学の本分は変わらない。教授個人としても大学という組織としても、その役割の一環として研究活動は引き続き営まれる。こうして大学は社会にとって、なくてはならない組織と認められたまま存続する。ただし、これから10年ぐらいは覚悟を決めて試練を乗り越えなければならないであろう。今世紀大学が果たしてきた功績を評価する向きにとって、現在進行している変化の行方は、楽観を許さないものだからである。
(訳:皆見英代)

広報118号目次  刊行物