第X章 社会科の指導計画および指導法の地方への適応

 

 この学習指導要領は,わが国の中学校・高等学校の社会科の指導計画および指導ができるだけ効果的に行われるように,基本的示唆を与える目的をもって,全国的立場から編修されたものである。しかしながら各学校でこのとおりに実施されることを要求しているものではない。民主的社会においては,戦前のような全国画一的教育の弊を打破して,各学校において地域の実情に即応した教育がなされなければならない。これがためには,各教育委員会においてもその地域に即した指導計画や指導法を示唆することであろう。

 ところで各学校の実情に即した指導計画や指導法といっても,これを具体化することは,そう簡単ではない。狭い日本のことであるから,各地の生徒の必要にもむしろ共通なものが著しく目だつのは当然のことである。しかしまた一方においては,地域によって学校の教育目標として特に重点をおくべき具体面や適切な教材に違いが出てこなければならないはずであり,社会科についても同様である。これに従って社会科の教育内容や指導法が全国同一ではありえない。そこで,この学習指導要領を基準として,それぞれの地域に即した計画が立てられ,これに従って指導されることが望ましいが,この場合特に注意すべきことは,

であろう。

 社会科の教育課程の組織

 社会科の教育課程の組織のしかたにも,いろいろなものが考えられる。たとえば地理 歴史・公民などの科目に分けて組織するのも一つの方法であり,現に高等学校の分化した社会科では,社会科としての共通目標への到達を目ざしながら,その取り扱う問題の分野の違いを考慮して,だいたいこれに近い形式になっている。これに対して中学校から高等学校第1学年までのものは,社会科内の科目を明りょうには区別しないで組織されている。これらは戦後のわが国の教育課程における一つの試みであり,社会科としては,この他にも幾つかの組織のしかたが考えられる。しかしどのような組織にしろ,理論的にも,実際的にも,それぞれ一長一短をもっている。要は社会科としての教育目標に,最も到達しやすい形式を採用するのが賢明なわけであり,この学習指導要領では第U章「社会科の教育課程」で述べたような理由によって,上のような組織を一応採用したわけである。

 ところでこのような組織のしかたは,形式の上からいっても戦前のものに比べれば,はるかに進歩的であるといえよう。しかし単に組織を進歩的にしたからといって,それだけでただちに教育効果が上がるようになると即断するわけにはいかない。すなわち,ややもすると,教師に新しい教育課程がこなせないために起る欠陥が著しく現われて,かえって教育効果を減ずる場合すらあること,ならびに計画はりっぱでも,地に足がついていない机上案であるがために,実際の教育効果が上がらないこともあることなどに注意しなければならない。そこで教育効果を上げるためには,教師にこなしやすい教育課程の組織にすることも,一つの重要な条件として考慮に入れなければならないことになる。

 たとえば現に改訂されたこの学習指導要領においては,中学校第1学年はおもに地理・歴史,第2学年は歴史・地理,第3学年は政治・経済の分野を中心として問題が選ばれて単元が組織されている。これだけでも旧単元に比べれば多くの教師にとっては指導がやりやすくなったことと想像される。この考えをいっそう拡大して,もっと現在の教師にやりやすいように組織することも一つの行き方である。しかし学校によっては,日本史も加えてこの学習指導要領に示されたものよりも,いっそう統合的に組織するほうが能率が上がると考えるものもあるかもしれない。このような場合も,ただ形式的に分化したり統合することに努めて,社会科としての教育目標を見失うようなことがあってはならない。要は教師の現実も考えて,社会科の教育目標を達成するに最も容易な組織を研究することでなければならない。

 これに関連して,この学習指導要領に示されている単元やその内容も,固定したものと考える必要はない。これらは中等社会科学習指導要領改訂委員会において,種々討議の結果,だいたい適当と考えられたものにすぎず,もとより絶対的なものではありえない。各地域においてこれを基として,さらに研究を重ねれば,もっとその地域として適当な単元,あるいは内容が考えられよう。そして以上のような努力が各地でなされて,はじめてわが国の社会科の教育課程の進歩,改善が期待されるであろう。

 地域社会の学習資料の利用

 学校で教えられたことは実社会生活に役だたないとは,以前からよくいわれたことである。これには役だつという意味を,実技のような狭い意味にとることからくる非難の場合もあるが,学校で習うことは,ことばや文字の上の知識にとどまりがちであったことは否定できない。社会科の教育において,このような欠点を救う一つの方法は,地域社会の学習資料を有効に利用することである。そして,この点でもまた指導計画や指導法における地域社会の特色が生かされることであろう。

 社会科の学習に有効な地域社会の資料としては,山地・丘陵・平野などのような社会生活環境としての自然をはじめ,耕地・道路・住居・商店・工場・社会施設・歴史的遺跡や遺物などのようにはっきり観察できるものもあるし,人々の考え・習慣・行事・政治・経済・社会的活動のように,必ずしも観察だけに訴えられないものもある。

 これらの資料を利用するためには,教師は指導に有効などのような資料があるかを,前もって知っていなければならない。さればといって地域社会の学習資料の利用とは,狭い郷土教育をやることではない。これは特に誤解のないようにしなければならない点である。したがってその予備調査も,ただ漫然と雑多な方面にわたって,郷土誌の材料を集めることではない。生徒の発達に必要であり,また社会的に有意義な問題を中心とし,これの指導に有効な資料および利用法を見いだすことでなければならない。

 ところで自分が住んでいる地域というものは,何かとむしろ調査がやりにくいものである。たとえば,いつも見なれている自然や人文景などは,長い間には,何もかもあたり前に感ずるようになりがちである。そこに教育的価値を見いだすためには,教師はまず物を科学的に鋭く観察したり,取り扱ったりする能力を身につけていることが必要である。それに,人々の考え・収入・家庭状況・教養の程度・政治・経済活動などの調査は,ややもすると人々の誤解を招きやすい。だからよほど慎重に計画し,実施しなければならない。それに,このような調査は,個人個人でやるよりも,同じ学校や近所の学校の社会科の教師と協力して行ったほうが,おたがいの短所も補える上に能率も上がる。このようにして地域社会の有効な学習資料について目鼻がついたならば,次の問題は,有効と考えられる機会をとらえて生徒を見学につれていくことである。第W章の中の「面接と見学」には,地域社会の学習資料利用の一つである面接に際しての注意事項がおもに述べられているが,見学に際しても教師の細かい注意が必要である。たとえばそれが何かの施設である場合には,見学の計画について前もってその責任者の同意を得て,具体的な打合せをしなければならないし,生徒に対しては,どういう点についての知識や理解を得るために行くのかを,よく認識するようにしなければならない。工場などの見学では,ややもすると生徒は設備や機械の動きに目を奪われて,その工場が社会的にどういう働きをしているか,人々の仕事がどのような責任と協力とによって営まれているかなどを見のがすことがよくある。だから場合によっては,特にどういう点を知るかによって,前もって分団を作るのも一つの方法であろう。また地理的事象や歴史的遺跡などの見学の場合は,教師はよほどしっかり物の見方の指導をしないと,漫然としたレクリェーションのようなものに終ってしまう危険性がある。

 どのような見学の場合も,生徒の安全や社会的行動について,時によっては問題を起すことがあるが,見学は生徒が自らを律し,集団員として望ましい行動を身につけるように指導するよい機会であることを忘れてはならない。それにつけてもこのような計画には,はじめから生徒が参加することが望ましい。そして教師と生徒との協力というよりは,むしろ教師が助言を与えつつ,生徒に多くの責任をもたせて計画するほうが教育効果からいっても得るところが大きいであろう。

 見学を行ったあとでは,その結果について,たがいに話し合う機会をもつことがたいせつである。生徒によって着眼点・興味・印象・解釈などが違っているであろうから,これらの点をじゅうぶんに話し合って,結果の評価および今後の計画の改善に資すべきであり,これを欠いては,見学の効果も半減することであろう。

 地域社会の学習資料の利用は,単に身近かな具体的手がかりを通して,学習を生き生きとしたものにすることだけが目的ではない。生徒が有能な民主的社会人として成長するためには,身近かな社会の諸事象について知ったり,理解したりしているだけではふじゅうぶんである。各生徒が社会人であることを自覚し,地域社会生活の改善・発展に貢献する意欲に燃えるようになることが必要である。地域社会の学習資料の利用は,この方面にも寄与しなければならないし,むしろこのほうが重要な目的といってよい。

 それにはまず,地域社会の資料を日常生活に有効に利用するように指導することがたいせつである。たとえば図書も学校図書館ばかりでなく,公共図書館も学習に際して利用するように指導したり,陳列館・公民館その他の社会施設の有効な利用になれさせることが必要である。ところで有効な利用には,単にこれらを機会のあるごとに利用するばかりでなく,これらを愛護し,よいものにしていく態度や技能の育成が含まれることを忘れてはならない。さらに種々な見学や必要に応じて行われる地域社会の調査も,単に知識や理解を得るためのものに終らせてはならない。そこには,地域社会生活の改善に,生徒として協力できる問題の発見,およびその計画や実行が含まれるように指導されなければならない。

 批判的能力や態度の養成は,わが国の教育において,大いに重視されなければならない点である。しかし自分自身が地域社会の一員であることを忘れ,地域社会の種々な好ましくない事象に対して,他人や社会を非難したり,要求を出したりすることがおもになってはならない。たいせつなことは,生徒としてその改善にどのように助力できるかを考え,これを実行しようとする意欲を起させるように指導することである。

 時事的できごとの利用

 地域社会の学習資料の利用が,社会科の学習にとって重要な意味をもつと同じように,ラジオ・新聞・雑誌などに掲載される地域社会・国・国際間などの時事的できごとも,社会科の学習にとって大きな利用価値をもっている。元来新聞や雑誌の報道は,たいていのものは社会科の学習領域に関係があるといってよい。もっともそれらは雑多で,しかも教育的に編集されているわけではないから,教育上好ましくないような報道もあるし,問題としては社会的には未解決なものも多い。したがってこれらの利用にあたっては,教師はよほどその指導に注意を払わないと,断片的で,基礎のない空虚な学習に終り,教育的には大した効果がもたらされないであろう。

 ラジオ・新聞・雑誌などに報道される地域社会・国・国際間などの時事的できごとの有効な取扱方は確かにむずかしく,また慎重にやらないと思わぬ結果を招くおそれもある。さればといって,これらに無関心で社会科の指導が進められたならば,それは現実の社会から遊離した内容の学習にとどまりがちとなり,生徒が現在および将来,種々な社会問題に直面しても,これと積極的に取り組む態度や,その解決に必要な能力も養成されないであろう。

 ところで時事的できごとを,どういう時にどのように利用するのが最も有効であるかについては,いろいろな見解があって,これといって定まっていないのが実状である。しかし,最も根本的なことは,生徒が常に新聞などに親しんで地域社会・国・世界の重要なできごとを知る習慣をつけるとともに,これらに対する自分自身の判断力を養うように指導することである。このような習慣や能力を養っておくことは,わが国の民主的社会の発展に重大な関係をもつ。したがって,まず全生徒にラジオや新聞のニュースに対する関心を養わせることが第一であるが,これには学校にニュース掲示板を設けることも一つの方法であろう。それはだれにも目につくところに設備し,ニュースは毎日新しくすることが必要である。またその内容は絵・地図などを入れて興味のあるものにすることが望ましいが,もともとこれは生徒に,ニュースに対する関心をもたせることが目的であるから,くわしい解説は必要としない。そしてこのような仕事は,生徒の委員会の手によってなされるように指導することがよい。

 次の問題は,新聞や雑誌の記事の読み方の指導である。多くの記事の中でも社会的に最も重要なものを選ぶ能力と,これをまず読む習慣をはじめ,同じ事実に基いてもその解釈や報道のしかたが,新聞や雑誌によって違うことや,まちがった報道すらまれではないことを認識して,これらを読むに際して批判力をわかせる習慣をつけること,新聞や雑誌による編集の特色をつかむこと,その他いろいろな能力・態度・習慣を身につけるような指導が必要である。

 ところでこのような指導を,どのような機会に行ったらよいか,さらに社会科の学習にどのように利用したらよいかが最後に残された問題である。事情が許せば社会科の時間以外に,一週の中で定期的に新聞や雑誌の読み方を指導したり,時事的できごとに関する討議をする時間を設けることも一つのよい方法である。次に社会科の時間に利用する場合には,社会科の指導内容と関連をもたせることが望ましい。すなわち時事的できごとの中でも,単元の内容と密接な関係のあるものを選んで,学習する問題への導入とし,基本的事項の理解へ発展するように指導することも考えられる。また場合によっては,時事的できごとそれ自身がよく理解できるように,その社会的背景を深く堀り下げた指導も有効なこともあろう。その他にもいろいろな方法があるにちがいないが,残念ながらこの方面の研究は,まだじゅうぶんに進んでいないのがわが国の実状である。いずれにしても,このようにして社会科の学習の中に時事的できごとを取り入れることは,一方では生徒に現実の社会問題に関心をもたせ,進んで新聞や雑誌のニュースを読む習慣をつける上にも大きな効果がある。

 時事的できごとを取り上げるに際して,教師として最も困難を感ずることの一つは,現在の社会としては未解決な問題がしばしば含まれていることであろう。このような問題を,ことさら避けることは望ましくない。民主的社会を発展させるためには,各人が正確な情報を基とし,これに対して自分で判断し,行動する態度や習慣を身につけることが必要であり,さもないと宣伝や煽(せん)動が幅をきかす世の中になってしまうであろう。さればといって,生徒にかってに討議させておいたならば,その問題の社会的あるいは歴史的背景などに対する理解を一般に欠いているので,皮相な論議の空転に終る場合が多いであろう。

 そこで教師は,これらに関する予備知識や理解を与えることが必要となるであろうが,その問題に対する教師の意見を前もって生徒に与えてはならない。もちろん教師が意見を述べることはよいが,それは討議やその他の学習の終りごろにすることが望ましい。しかし,この場合に注意すべきことは,学校では,特定の政党を指示したり,これに反対するための政治教育は許されないこと,ならびに国・公立学校では,特定の宗教のための宗教教育をしてはならないことである。すなわち,どこまでも生徒の公正な判断力の養成を目ざした指導でなければならない。