第U章 生徒の必要と数学科の指導

 

§1.数学科における生徒中心の教育

 教育は,あくまで生徒中心のものでなければならないということは,ルッソオ以来の教育の先覚者たちが常に主張してきたことである。これは,生徒を個人として尊重し,その個人の最大限の発達を教師の最大の関心事とするという意味で,現在の教育においても,最も重要視しなければならない考え方である。

 しからば,数学科において生徒中心の教育をするということは,実際にどのようにすることをいうのであろうか。一言にしていえば,これは,数学科の指導は「数学を」教えるのではなく,数学で「生徒を」教育していくことであるといえよう。

 「生徒中心」というとき,これを「自由放任」の教育と同一視することは,大きな誤りである。生徒が数学を勉強したいといったときに,生徒に数学を教え,生徒が野球をしたいといえば,野球をさせるなど,生徒に好きなように活動をさせ,教師はただこれを見守っているということは,教育ではない。過去の数学教育は,生徒に計算その他の技能についての知識や行為の型だけを教えこむことを主目標として,そのため,ややもすると,数学を積極的に用いて新しいものを創造していく意欲と能力に乏しい受動的な人間を育ててきた。この原因を正しく考察せずに,生徒中心ということがいい出されたために,上のような誤解が生じたのである。

 数学がきらいな生徒がいた場合に,数学がきらいだから数学の授業は受けなくてよろしいとして,教室の外に放任することは,教育ではなく,教育を捨てることである。また,好きでもきらいでも,とにかく,これを勉強せよといって強制していくことは,生徒中心の教育ではない。数学のきらいになった生徒には,きらいになっただけの原因がある。数学の学習において,失敗ばかりしてあまり成功しないことから,自分に対する信頼感を失うことをおそれて,それを避けるために,数学をきらっているのか,自分の成功が教師にも友人にも認められないので,クラスという社会における安定感を傷つけ,その結果数学をきらうに至ったのか,とりあげている問題が自分にとって価値のないことばかりだと考えてきらっているのか,などその生徒のきらいになった原因はいろいろ考えられる。そこで,教師は,その生徒の能力に適した問題で,しかもやってみようという気の起るような問題を与えて,その生徒に成功感を味わせたり,その成功を,かれの努力の結果として,友人とともにこれを認めたりしていけば,その生徒の信頼感や安定感をとりもどしつつ,かれの能力を伸ばしていくことができる。このようにすることこそ,生徒中心の指導である。すなわち,生徒中心の教育とは,次の二つのことを意味する。

 

§2.青年期の発選とその基本的必要

 青年期の一般的特微として,ある一定の行動の型を考えて,青年は一般にこのような行動をするというように見ていくことは,きわめて危険なことである。

 従来,青年はこういうことをするものであるとか,一般に移り気であるとか,放逸であるとか,不安定であるとか,いろいろといわれているが,すべての青年がそうだというように考えることは,いいすぎである。青年の行為にある決まった型というものを考えることはできない。ある青年は,そのような行動をするかもしれないし,またあるものは,そうしないかもしれない,青年の行動は,かれがそれまでに養育されてきたやり方,兄弟・姉妹・友人とのつきあい,学校および地域社会で教えられ扱われてきた方法などの,多くのものによって,いろいろと変って現れてくるものである。すなわち,青年期というのが,正常な人間の発達である一段階であり,この時期において,その発達のある面が著しく目だってくるということは事実であるが,その発達の起る面が決まった型にはまっていくと考えるのは,正しくない。

 それゆえ,次にあげるような面で,青年たちは,この時期にいろいろに発達していくということは考えられるが,同時に,その発達の程度や表われ方には,その個人個人によって非常な差があるのだということも常に念頭におかなくてはならない。このような前提のもとに,青年期の発達の特徴のある面として考えられるものをあげてみると,次のようにいえるであろう。

 このような面での発達は,青年が遭遇するいろいろな経験によって望ましい方向へも,望ましくない方向へも向かっていくものである。それゆえ,青年を,社会的にも,情緒的にも,個人的にも望ましい方向に正常に発達させようと思うならば,学校・家庭・地域社会などで満たしてやらなくてはならないと考えられる基本的な必要というものが存在する。

 そのおもなものをあげてみると,次のようである。

 
 
青年の基本的必要

 

 

 上に述べた必要は,意識的にせよ,無意識的にせよ,また,その程度に差があるにしても,多くの生徒に共通な必要である。そして,生徒の行動の多くは,このような必要を満たしていくことを動機として起ってくる。そして,この必要が正常な望ましい状態で満たされていかないときには,生徒は悩み苦しみ,この状態からのがれようとしていろいろな行動――その中には,ときには社会的にみて望ましくないものもある――をするようになる。

 

§3.数学科の指導における生徒の必要

 数学科の指導において,生徒がいっしょうけんめいに最善を尽して,自主的に学習していくことを望むならば,そのような行為が上にあげた必要を満たすものであることを生徒に明らかにし,かつ,教師の知らず知らずの間にする行為が,このような必要を満たすのを傷つけないようにしなければならない。このことが,上のように基本的な必要を明らかにした理由である。

 そのための具体的な注意事項を,教室における指導過程の上からと,とりあげる問題の選び方の上からとの,二つの面からあげてみよう。

 
 
生徒の必要を満していくための指導過程上の注意

 
 
生徒の必要を満たしていくための生活経験の選び方

 指導過程において教師の注意を払うべき点として,上にあげたことは,主として,第2節で述べた必要の1から7までに関係している。これらの必要は,主として生徒の情緒的な面の発達に関係するとみられるので,情緒の強く働く,教師対生徒の人間的な関係の基盤となるのである。これに対して,第2節で述べた必要の6,7,8,9,12等は,知的な面の発達に主として関係している。したがって,これらの必要を満たすことは,教師対生徒の人間的関係の面よりも,生徒対教材の面(内容と指導法との二面を含めた)において考えられる。教材が,これらの必要を満たしていくことが生徒によくわかるにつれて,生徒は,これを有意義であると感じ,積極的に学習しようとするようになる。

 ここでは,数学科として,これらの必要を満たすのに,どのような問題がとりあげられるかを考えてみよう。そのため,問題の起る場面を,個人的な問題・身近な社会関係・社会関係・経済的関係とに分けて考えることにする。もとより,このような分け方は,便宜的なものであり,問題の起る場面をひととおり見わたすためのものであり,考えやすくする手段にすぎないのであって,これによってきちんと分れるとか,完全であるとかいうことを意味するものではない。

 

 以上は,生徒の必要に応ずる問題を探究していくひとつの方法を示したものであるが,ここにあげた方法も完全なものであるというのではない。強調したい点は,このようにして,とりあげる問題が,なんらかの意味で,第2節に述べたような生徒の必要を満たすものであり,しかもそのことを生徒にはっきりわかるように指導して,生徒が,積極的に自主的に,その問題にぶつかっていくようにすることである。