学習指導要領社会科編(第七学年――第十学年)
第一章 序   論

 

 一 一般社会科の意義

 社会科の総合的な学習は小学校からずっと行われて来たが,中学校の全学年及び高等学校の一学年でも,なお継続してこの総合的な学習がなされるようになっている。これまでは,社会科の内容となっている歴史・地理・公民などは,いずれも別々の教科として扱われて来たのであるが,一般社会科としては,本書に示してあるように中学校あるいは高等学校の生徒の経験を中心として,これらの学習内容を数箇の大きい問題に総合してあるのであって,教科そのものの内容によって系統だてるようなことはやめることとした。このような総合にあたっては,次のような原則がその基準となっている。

 生徒がある一つの社会的な問題を解決するには,従来の各教科における学習内容が何よりも必要である。そして,その解決のための最善の方法は,生徒が持っている知識や経験を,その教科的区画にとらわれないで,いずれ教科で取り扱われたことがらにせよ,社会生活に関するものであれば,すべてこれをとり集めて,必要に応じて使うということである。一般社会科の単元構成方法のねらいは,このような考え方にもとづき,生徒が意義のある経験を重ねることによって,自分の生活の価値をはっきりとつかみ,これを次第に高めて行くことができるように,教科課程を組み立てようとするところにある。一例のために,九学年の単元のなかから一つの問題を選んでみよう。それは「われわれの政治はどのように行われているであろうか」という問題である。近代政治の理解には社会生活に関するあらゆる教科の教材を用いなくてはならない。政治史の知識を持たなくては,近代政治の機能を理解することはできない。また政治は地理的な背景の中で行われているし,政治の単位も地理的な地域区分によっている。政治に関する問題の多くは経済的な面をもっている。さらに,すべての政治の中には多くの集団の社会関係も含まれている。政治のこうした諸部面を理解するためには,地理学・経済学・社会学などに関する基本的な知識が必要である。しかし,生徒にこのような政治のいろいろな面を別々な教科で教え,その結果,生徒が自分の力でいろいろの材料を総合して全体を理解できるようになるのは,限られた経験しか持っていない生徒にとってはほとんど不可能な仕事である。そこで,生徒の発達のためには,政治に関するいろいろな問題を解決するに際して,関係のあるすべての部門の教材を結びあわせて用いることが必要となって来る。

 このように,生徒が自分の力で社会の問題を解決しうるためには従来の幾つかの教科の教材が総合され,融合されて来なくてはならないのであるが,この意味で一般社会科は総合社会科とよばれてもよいであろう。いったい学習というものは,すべて心理的なものであるから,総合的に与えられる教材は,個々の生徒の心理的過程としては,融合的に学習されるものであるという事実を見きわめて,生徒の心の中で行われる融合的な学習過程に必要な材料を,何年もかゝって別ゝの教材で与えるのでなく,一時に有効に用いられるように配意するところに,一般社会科の学習指導の重要な特色がある。

 従来の教科の教材を融合させた方がよいことを示すために,もう一つの別の例を日本の工業時代についての学習にとってみよう。そこでは,日本の工業時代を中心にして,社会科の幾つかの問題単元が組織されているが,それは,工業時代が孤立した歴史的事実ではなく,いろいろの社会的文化的事象に深いつながりを持っており,したがって,その理解のためには,いろいろの方面にわたる理解が伴なわなければならないからである。即ち工業時代を完全に理解するためには,生徒はまず,天然資源の必要性や,その位置や利用法,またその工業化の過程などを理解することが必要で,これは,かつて地理学の内容と考えられていたものである。また生産された物資の分配や交換の活動についての学習も必要であるが,それは経済学に属している。また機械の輪入は国民の生活に大きな変化を与えているが,これは従来の社会学の領域にはいる。日本における機械工業の発展はまた多くの歴史的事実を考慮しなくては,ほとんど理解されないであろう。日本における産業の発達を十分に理解するには,さらにまたこの発達過程で政治が果たした役割をも学習しなくてはならない。

 ところで生徒が,学校生活の間に,いろいろの教科で,またいろいろの時に学ぶことがらから,工業時代についての十分な理解をまとめあげることは,かれらにとってはなはだ困難であろう。例えば,歴史学からは産業革命がどうして起ったかについて,地理学からは機械生産に用いられる原料の分布について,経済学からは交換制度や流通組織の成立について,社会学からは機械によって生じた国民の集団生活の変化について,公民科からは政治によって工業の上に加えられる統制について,というようなばらばらの学習から,自分の力で価値のあるものをはっきりと組織立てるほど,生徒は十分に成長してはいない。望ましい学習の形態は,わが国民生活の中にいろいろな形で現われている事実によって,工業時代が統一を持ったもの(即ち単元)として学習されるということである。即ち工業時代は,その歴史的・地理的・経済的・社会的な諸部面の相互の連関において学習されることがぜひとも必要である。このような点に社会科学習の特色があり,したがって,またその学習指導の特異性が存するのである。

 本書にその概略を示しておいた各単元は,れどもすべて質問の形で現わされている。もし生徒の経験を,単に「政治」というような題目に関係させるだけに止まるならば,これによって,生徒の作業を開始させるような十分な動機を与えることは,おそらくできないであろう。そうして,そこではもっぱら,事実を記憶するようなことが行われてしまうであろう。それと反対に,与えられた期間において,生徒のすべての経験を,かれらが解決しようとする直接の問題及びその解決に必要な間接的諸問題に結びつけて,例えば「われわれの政治はどのように行われているであろうか」というような題目を中心に,広く連関を保ちつゝ発展せるようにするならば,生徒はさらによく理解を深め,その態度や技能や能力においても進歩するところが多いであろう。こゝで強調したいことは学習の単元が,ばらばらな形式的な知識を集めたものではなく,人間の経験を組織立てたものであるということである。単元の学習を進めて行く間にはいろいろの形の活動が行われるが,問題の解決に不必要な単なる事実の記憶はどの活動にも含まれていない。この際,教科書の役割は,問題の解決に役だち,かつ十分に意味のある記憶を中心に,生徒の活動を組織立てるための手引きとなることにあって,徒らに記憶をしいる内容を盛りこんだものとして用いられてはならないのである。このような考えにもとづいて,この教科課程ができているのである。そして,この教科課程を運用するにあたって教師が最も意を用いなければならないことは,生徒の発展に必要な活動をいかにして起して行くか,という点にあるのであって,教材内容のせんさくに深入りしてはならないということである。

 

 二 問題単元及び単元と経験領域との関係

 この「学習指導要領」に大要を示してあるように,四学年にわたる一般社会科の各学年の課程は,六つの問題単元からできている。六つの単元は,それぞれ一定の経験領域を中心として組織したものである。第七単年の諸単元は,「日本におけるわれわれの生活」というような経験領域を中心としている。第八学年の経験領域は「社会生活に対する産業の影響」ともいうべきものである。第九学年の六つの単元は「共同生活の社会的条件」という主題を中心にし,第十学年は「民主主義におてる人間関係」というべき領域を中心としている。

 このような単元は,すでにできあがったものと考えられてはならない。それらを実施するのに,いつもきまった一つの手続きがあるわけでもない。教師は,学級といっしょに,自分自身のやり方をもって指導していかなくてはならない。単元の組織を用いるわけは,それによって断片的な教材内容も,それから一群の経験も,ともに,総合することができるからである。ばらばらな多くの事実を学習させるということを目ざしているのではなく,よりいっそう必要な態度や認識を発展させるために,価値のある新しい広い理解に到達させて,個々の生徒の生活に役立つ技能や態度を養わせるという意味で,教師はまたこれらの単元を十分に自分のものにしなくてはならない。

 こゝに大要を示してある問題単元は,その組織上,幾つかの部分に分かれている。そのおのおのは要旨・目標の表・教材の排列の概略・学習活動の表・及び学習効果の判定法の例から成り立っている。要旨は,単元を生徒の現在の生活に関係させ,時代の問題としての重要性を約説することを目ざしている。目標の表は不完全なものであるが,これを掲げたわけは,それぞれの単元を中心として社会科の学習において行われるすべての経験に,一定の実際上の目的を与え,これを経験や活動のきっかけとするということと,この単元の中でやろうとしている活動は,これらの目的に関係を持たなくてはならない,ということを教師に理解してもらう手がかりを提供するためである。この表はこれで完全なものと考えてはいけない。さらに全国のすべての生徒たちに,一般に適用されると考えてもいけない。教師と生徒は,この表に自分たちが到達しようとするいろいろの目標を加えたり,それぞれの学校や地方的環境に適合しないものを修正したり,削除したりする必要がある。

 また単元中に問題を解決するために用いられるように教材の排列を示してあるが,それを固定的なものと考えたり,また手を加えて変えてはならないものと考えたりすべきではない。教師や生徒は,これをいろいろに修正して,自分の現状につごうのよいと思われるようにすることが望ましい。表示してある主題は,あげてある通りの順序で手をつけて行く必要はない。新しい主題を加えてもよし,あるものを削除してもよい。学習活動の例は,非常にたくさん挙げてあるが,その中から,教師や生徒は自分たちの課程を進めて行くために,自分たちの学級に適合したものを幾つか選択すればよい。全国のそれぞれの学年の生徒のすべてに,同じように役だつような学習活動を表示するのは不可能なのである。その学校にとって目的を達成するのに有効な活動や,利用できる教便物や施設などを考慮して,実際に行われ得る活動だけを実施すべきであろう。

 学習効果の判定法は,各単元ごとに挙げてある。一般社会科の学習経験は,すべて個々生徒について,その時々のその生徒の発達という点から始めなくてはならない。単元の指導を実施するに際しては,生徒各自の発達を明らかにするような方法を工夫し,これを用いて行くことが必要である。それで単元の学習の終り,あるいはその近くで,その単元の中に示されている問題を解決するために生徒各自が学習経験を積み重ねて来た結果,果たして,どのような成長をなしとげたかを判定したり,測定したりすることが必要である。

 

 三 単元の提出

 教師がつねに注意すべきたいせつな原則は生徒の興味がなくては,貴重な学習経験はあり得ないということである。単元の問題は,生徒の解決しようと欲する問題となるように提出しなくてはならない。例えば,学習指導要領によれば,次の数週間は『われわれの政治はどのように行われているであろらか』という題の単元をやることになっている」というようなことばで教師が単元の問題を突然独断的に提示したとしたならばどうであろう。それでは,おそらく成功は望めないであろう。単元を提出するには,いろいろの仕方がある。生徒からの質問も利用してよい。同じ話でも,ラジオで聞いた話は,その内容について,もっと学びたいという意欲を刺激するであろうし,広く社会で注意をひいたり,論じられたりしている新聞記事も学習の出発点になろう。また生徒の強い興味をひいている身近な問題は,討議に発展し,討議は,こゝに問題単元として表示してある幾つかの大きな問題を解決するきっかけとなるであろう。

 単元の学習を始める前に,教師は要旨,目標,教材の排列,学習活動の例,学習効果の判定を含んでいる単元の大要をよく研究して,その中に示唆されている学習すべきことがらの相互の関係を理解し,それが自分の地方でいかなる意義を持っているかを明らかにしなくてはならない。学習指導要領を読みながら,教師はあらゆる種類の教材の必要なことを知ることと思う。社会科の教科書は,各単元ごとにパンフレットの形で出版するように計画をすゝめているが,このような教科書の提供する教材は,単元の学習を進めるにあたっての生徒の興味や,必要や,傾向のすべてに応ずるほど完全であるとはいえない。教師はいろいろな方法で,学習に関係のあるすべての教材を広く探さなくてはならない。例えば,適当な書庫の書物・字引き・百科辞典・小冊子・新聞・雑誌・映画・幻燈・写真等である。次のような自問をしてみることは教師にとって,教材を探す上に手引きとなろう。

 これらの単元を学習して行くのに用いる教材を見出だすのは,困難であることはよくわかっている。不幸にして,今日の学校には文庫も少ないし,参考書も副読本も,最近の小冊子も,写真も,また新聞や雑誌のつゞり込みも少ない。まずはじめに,各学校はこれらの問題の学習に従事する生徒の使う教材を集めたり,文庫を作ったりする努力をはらわなくてはならない。この学年に用いる教材は,次の学年に使うために保存しなくてはならない。昭和二十二年度の主要な計画として,学校図書館・博物館の充実を行い,蔵書やそなえつけの写真や新聞や雑誌や小冊子や,その他の必要な教材を次第にふやして行かなくてはならない。そこでこの年度は,教師と生徒はどんな材料でも見つけだし,使って行く覚悟が特に必要である。

 単元を提出するに先立って,教師はまずその教材の排列について,考慮をはらわなくてはならない。各単元の教材排列の中にはある程度の数の題目をあげてある。生徒はそれらの点のどこかに現在立っているわけであるから,教師はその中から,生徒の過去の経験に比較的密接な関係があると思われる題目に注意して,出発点をそこにとるのがよい。新しい教材は,つねにこれを以前に学習した教材に結合しなくてはならない。あまり慣れていない作業は,徐々にやって行くがよい。題目の表は,その性質からいって,単に例示したものだから,必要に応じて変えてよい。

 前に注意した通り,単元は生徒が興味を持っている問題を解決するのに必要であると考えられたから,その結果として,提出されるものでなければならない。問題の解決に従事する生徒が,この問題を実際の問題だと思うようでなくてはならない。例えば,市町村の準備委員会で,教育制度の六・三・三・形式を実施する活動は,「学校はわれわれの社会生活にとってどんな意味を持っているであろうか」という第七学年の問題を学習するよい手がかりになるであろう。おそらく,地方の委員は,学校をたずねていろいろな知識を得て,その上に再編成の計画を立てようとするであろう。生徒はきっとこの委員達の訪問やその目的や結果に興味を激しくひかれると思う。そこで教師は「みんながこの学校の組織を変えることに興味を持っていることがわかりました。この委員会や日本中のほかの委員会が,いまやっている仕事について,みんながもっと知りたいと思うことはどんなことでしょう。」と聞いてみるとよいと思う。巧みな指導によって,教師は,生徒の質問が,たゞ口先だけのものでなく,どうしてもその答えを知りたいという強い欲求から発せられて来るように,生徒を促して行くことができよう。これらの質問は,教師か生徒かがそれを板書しておく。教師は必要ならば問題を示唆して加えてやってもよい。十分質問や問題が発表されたら,教師と生徒とは,学習につごうのよい順序にそれを排列しなくてはならない。さてこのような準備委員会の仕事を理解するためには,現在及び過去の学校を研究すること,学校の機能・学校の改善,それから多分単元の大要の中に示してある他の主題の研究なども必ず含まれていなければならない。もとより本書の中に用いてある題目名は必ずしもそのまゝ用いる必要はない。単元の題名は実際は生徒に選ばすべきである。

 これらの単元はすべてこれを提出する際には,上に述べた方法,あるいはそれに似た方法を用いることが必要である。例えば,地方の行政機関や有志の消防組によって,うまく統制されている防火についての新聞の切抜きや生徒の報告は,容易に,「社会や政府は生命,財産の保護についてどういうことをしているか」という単元(第九学年単元三)によって示された問題の学習に,進む手がかりとなるであろう。また財産税の増加について,盛んに議論が地方で行われているが,これは,この学習指導要領の中で「われわれの政治はどのように行われているであろうか」という題のもとに,大要を示してある政治について,多くの問題を学習するように発展されるであろう。

 生徒とともに単元の学習の計画を立てるにあたって,まずなすべき活動の一つは,目標についての討議でなくてはならない。ある目標は,単元の大要の一部としてこゝに掲げてあるが,掲げられた目標は,どれも教師と生徒との両者の目的とならなくては,なんにもならない。学級で,単元の学習の大体の順序をきめる前に,あるいはその過程に一致するように,生徒は学題について,自分たちが知りたいと思うこと,解決したいと望む問題,それから,自分たちが達したいと思う結果を掲げなくてはならない。この点について学級で作る目標の表は,本書の中の表と一致する必要はない。このようにしてきめた表の形が,どんなものであっても,それが最後的な表だと考えてはならない。生徒は単元の学習の間に,さらに目標をつけ加えたいと思うかもしれないし,事情によっては,到達できそうもない目標を削除したいと思うかもしれない。もちろん教材の排列の中に表示してある主題は,どれも必ず目標と直接に関係していなくてはならない。もしある主題や活動が,表示してある目標あるいは後で見出だした目標に何の関係もないならば,それは棄ててしまった方がよい。

 生徒が解決しようと思う特殊な問題の輪郭とあらすじを描くことができたならば,次に,輪郭のできたこの問題を解決するのに必要な活動を,遂行するために学級を組織しなくてはならない。すべての生徒が,すべての問題を研究する必要はない。生徒は,小さな分団に組織され,その分団が最も興味をもっている問題を研究するがよい。単元の学習が行われている間のある適当な時に,各分団は,級に対して,自分たちが調べて知ったことを報告する。報告の仕方には,文書あるいは口頭をもってする報告,自席からの報告,劇,またはいろいろな他の方法もある。それには生徒の個人的作業の機会もあろう。学級全体,または分団は教師といっしよに時々作業を計画しなくてはならない。できるだけ生徒の考えや提案を用いるのが一番よいのであるが,特にこのようなやり方は,生徒に目新しいことで,はじめのうちはあまり考えも出ないだろうから,教師は集団の一員として,自分の考えを示唆してやるがよい。もちろん最初の計画のとりきめは,単元の全体の計画にとって,十分ゆきとどいたものであるとは期待できない。主題やその排列や問題に対する最初の計画は,単元の学習が進むにつれて,不十分なものだということがわかって来るであろう。学級全体のために,個人あるいは委員会で計画していく仕事は単元の学習の一部分であり,継続的に行わなくてはならない。

 計画すべき要項は次のようなものである。

 中学校の各学年には,六つの単元が与えられている。しかし,それは六単元のそれぞれが一学年間に,この学科に割当てられた総時間の六分の一を単元の学習期間として要求するということを意味しているのではない。教師は,単元の学習が開始された時には,普通一定の時間配当を考えているわけであるが,それは弾力性のあるものでなくてはならない。本書の中で,単元の形で輪郭を示してある問題の中には,他の問題よりあるものはいっそう生徒の興味や必要に適合している場合があろう。このようにして,学習を進めて行くにあたっては,二つの原則が守られなければならない。二つの原則というのは,単元の学習を,できるだけ多くの目標が個々の生徒によって達せられた時に終了しなければならないという原則と,単元の学習を興味が盛んに続いているうちに終えなくてはならないという原則とである。だゞしこの二つの原則は,互に適当ににらみ合わせて守ることが必要である。  生徒と教師とは,活動を絶えず計画する必要がある。この学習活動の例は単元の中に表示してあるけれども,あるいほ生徒と教師とで,他の学習活動を思いつくこともあるだろう。それからある活動はほかの活動に発展することもあるわけである。こゝに掲げてある活動の中には,学校が特殊な地域にあるため実行できず,不適当なものもあるかもしれない。その場合には,教師と生縫とはその特殊性を討議して,もしその活動が地域に適合せず,目標の到達に関係がないと考えたら,それを除く必要がある。  単元活動の進行中適当な時に,教師と生徒とは,その単元を満足にしめくゝるように計画を立てなくてはならない。これは単元の学習の進行に応じて討議しなくてはならないことであるから,それに対する準備も単元の活動の一部となろう。

 この計画の立て方を要約すると,教師は本書の中にある問題単元の内容を調べ,要旨・目標・教材・生徒の活動・判定法を,自分が適当と思う通りに改訂する。教師と生徒とは必要と考えられる教材のすべてを探して来て,それを組織する。生徒と教師とは協力して,単元を修正し,排列し直し,組織し直し,手を加え,広げ,あるいは自分たち自身の単元を展開する。このような計画の段階では,生徒は,教師の指導で自分たちのなすべき活動を選んだり,これらの活動をやって行く有効な方法をきめる。個人でやる活動,分団でやる活動,学級全体としてやる活動などをそれぞれ選定して,その方法を研究する。さらに,ほかの問題や活動が必要と認められれば,それをつけ加える。そうして学級は,単元の進行に応じて必要があれば,修正することを考慮に入れた上で方法について暫定的な計画を決定する。

 

 四 単元の展開

 単元の学習中のおもな仕事として挙げられることは,立てた目的と計画との実行のほかに,情報を集めて解釈したり,活動を実施したり,また,もし他の活動の必要がおきた時にはそれをつけ加えたりすることとか,集団討議を行うとか,みんなで口頭や文書の報告を聞くこととか,与えられた経験>から生じた結論を取り出して,しめくゝりをしたり,討議し,吟味し,暫定的かもしれないが一応これを承認する,というようなものが行われるのである。そこで学習の期間というものが考えられるが,それは,計画の期間,討議の期間,個人や分団でやる設計の期間,いろいろなものを作る作業をする期間,進行状態を報告する期間,進行している作業を批判し,判定する期間,作業をさらに早く効果的にやるのに必要な技能を練習する期間,個人的学習の期間,情報を集める期間,できあがった結果を分団の他のものたちや,学級の他の分団に分けてやる期間,完成した作業を要約して到達した結果を決定する期間などがあろう。

 単元の進行に応じて,はじめには計画されていなかった,いろいろの種類の活動が目標を達成するのに役に立つ場合もある。活動はどれも目標を達成するために役だたなくてはならない。問題に関係のある知識を含んでいるために選んだ学習材料を読んで静かに研究し,それをある生徒が分団に報告するというような活動から,地方の政治団体の活動を観察するために,そこを訪問し,生徒の自治組織を作ったり,それに参加したりするというような,いっそう活動的な仕事にいたるまで,活動は広範囲にわたっている。一時に学級全体が参加できるような形の活動もある。その性質上,小さな分団や委員会に適したものもある。さらに,個人的な作業に適している活動もあろう。この節の終りにいろいろな活動の表を掲げておくが,それはたゞ実例として掲げただけである。生徒と教師とは,単元の学習を進めて行く間に,生徒の能力を高め,興味を刺激すると思われることがあれば,いろいろとほかの活動を工夫するとよい。たゞし,選んだ活動はどれも,理解・認識・態度・技能・能力という点で,生徒の成長に直接関係のあるものでなくてはならない。

 

 五 単元の終結

 これらの活動を相互に関係づけるために,学級全体が,自分たちは,いま目ざす目標や結果に対して,どういう位置に立っているか,ということを時々考えてみる必要がある。単元の終りに近づくと,個人や分団や学級全体でなしとげた仕事のすべてを持ちよって,これを統一し,それに完成を与えるために,系統を立てなくてはならない。このしめくゝりの活動は,すべての生徒の理解,技能,態度及び認識を達成するのに非常に役だつものである。それによって,その単元の重要な面をふりかえることができるのである。次に掲げたのはしめくゝりの活動の例である。そのどれかを単独でやるのもよし,この中の幾つかを組み合わせてもおもしろいし,あるいは学級で全く新しい活動をやってみてもよい。

 

 六 課業の判定

 社会科の判定の目的は,理解・態度・認識・知識・技能・能力について,生徒の成長を明らかにすることである。従来は,成績評価といえば,生徒が教材をどれほど習得したかということや,国語を読み書きしたり,表現したりするような能力や技能や知識をどれほど得たか,歴史や地理の事実について知識をどれほど得たか,地図のつくり方はどうか,というようなことにかゝわりすぎていた。事実についての知識や技能は,もとより重要であるが,しかしそれは成長を助けるための道具としてである。そこでこれら以外の領域についての成長を判定することの重要性を,新たに考えてみなくてはならない。現にやっている仕事に精神を集中するとか,完成までやりとげるとかいような仕事の習慣。他人を認めること,寛容,批判的精神,社会感覚,誠実さ,観察や叙述の正確さ,美しいものを認める態度や認識。他人とともに生活し,仕事をするいろいろな能力。異なった地域や異なった文化の段階にある人たちが,互に相互依存の関係にあるというようなことに対する理解。すべてこれらのものは,学校が学習効果の判定に際して考慮に入れなくてはならないものの代表的な例であろう。そこで判定は,成績簿に等級をつけたり,事実についてどれほど知識を習得しているかを明らかにするためにやる筆記考査に止まってはならないことになる。さらに判定には,このようないろいろな方面における生徒の成長を学校が評価することだけでなく,学校が生徒のために計画し,責任を持っていることがらを生徒が実際にやっているかどうかを明らかにする面も含まれている。そもそも,学校は生徒の行動に変化を与えてやることを目ざしているのである。もっとも,感情的態度や行動の変化を判定するのは,事実についての知識を持っているかどうかをテストすることに比べるとむずかしい。一般に,教師は,生徒の態度や行動の変化をはっきり知るために,生徒各自の活動の観察に熟練し,その熟練を活用しなくてはならない。

 判定は学習指導の目標や目的に照らして行わなくてはならない。学習活動が目ざす目標によって,判定の方法もまた規定される。もし活動の目的が,歴史的事実の知識を習得することであれば,事実についての筆記考査を用いてよい。もし活動の目的が,生徒に民主的な生活の価値を認識させることであり,新しい行動の仕方について,あるいは古い行動の仕方の改善について,生徒に学習をさせようとするのであれば,活動によって,態度や行動に起った変化を明らかにする努力をはらわなくてはならない。例えば,もし学級選挙をやるという活動の目標が,公共に奉仕する役員の資格をきめる能力を発達させることであれば,その活動の結果生じた生徒の成長は,生徒が後に役員の資格についてきめたものを見て,それによって判定すればよい。もし活動の目標が,寛容な態度を発展させることであれば,生徒をあらゆる機会に調べて,生徒たちが寛容な態度をどのくらい発展させたか,また教室や学校や社会関係において,それをはっきりあらわしているかどうかを明らかにしなくてはならない。教育計画の目的や目標は,生徒の成長を判定する基準を与えるばかりではない。それによって教師は,実際にあらわされている生徒の成長の状態が,望ましいものであるかどうかを判定することができる。また授業のやり方や,実際にやっている生徒の活動が,目ざす生徒の成長に効果があるかどうかという点については,生徒の行為ややり方を見て,これを判定することができる。

 判定は,単元の開始前に始めて,単元の活動が進行している間じゅう続けて行い,単元が終る時には,最も重要になり,さらに,単元が終ってからも継続する。単元の問題を中心に組織してある学習経験を行って行く間に,生徒各自がどのように進歩したかを判定しようとするためには教師は,生徒が単元の活動を始める前に達していた実力の程度をはっきりとさせておかなくてはならない。したがって,ある種の予備テストはぜひやる必要がある。この予備テストによって,学習作業を始める前に持っている生徒の理解・態度・認識・知識・技能・能力を見出だすように努めることがたいせつである。

 問題解決の手続き・活動・目的・及び到達点についての判定は,単元の進行中に,教師も生徒も絶えずこれを行っていかなくてはならない。学習者の側からする判定は,そのまゝ学習活動の一部である。ある態度を習得しようとし,または学習しようとする際には,その状態においてとられる様々な態度を判定して,それが学習者にとって満足だと思われるような態度は,これをよしとし,そうでない態度はこれを棄てるのである。例えば,通行中に街路を横切ることを練習する場合には,学習者はその場合のいろいろな実際的な行動を考えて,それらが,自分の目的を達する上に,果たして大いに役だつかどうかという点から判定するのである。学習中にまちがっていたということがわかった場合には,即ちその学習には判定の働きが含まれているわけである。行動や態度についての「正しさ」や「まちがい」は,学習者自身が,その目的に照らして決定するものであり,それにもとづいてその行動や態度を自分のものとして学びとったり,または棄てたりするわけである。単元の終り近くには「反省」の時が来る。そこでこれまでの全体の経験や問題を,いままでの学習によって深めた理解,習得した技能や能力に照らして,いま一度組織しなおしてみるのである。このような期間には,生徒は問題を全体として見なおすこと,その問題と,自分の知っている生活との関係を理解すること,成果を吟味して,いっそう確実なものとし,それによってその成果を改めて考えなおすことが必要である。即ち,教師も,生徒も,その変化を受けた思考や感情や行為に照らし合わせて,得たところを記録したり,また判定するのにつごうがよいように,それまでの成果を書き変えなくてはならないのである。また生徒は,その問題の学習によって,社会生活や個人生活に影響を与える条件や力を取り扱って来たのであるが,そのような社会生活や個人生活に対して子どもでも,大人でもどんな貢献をなし得るかを明らかにしなくてはならない。

 こゝで強調すべき点は,判定には,生徒が自分の進歩を判定することも,教師が自分の進歩を判定することもともに含まれていることである。これは単元学習の進行中にも,あるいは学習の終りに近くなった場合にも,単元の目標に達するためにたいせつなばかりでなく,後に続く各単元のためにもたいせつである。単元の進行中,あるいは終りに近くなったころ,集団全体で,その単元について次のような観点から問題を出して討議することが必要である。

 社会科の判定が適当に行われるためには,それは包括的なものでなくてはならない。それには多くの場合に,一定の期間を通じて,種々な方法で集めたいろいろな種類の証拠を包含していることが必要である。ひとりの生徒の成長について,ある程度完全にその成長の状態を知るためには,精神的な性質の成長だけではなく,情緒的・社会的・身体的な発達についても,その証拠を集める必要がある。その成長の完全な姿の中には,知識や技能という点の成長ばかりでなく,知識や技能を適当に,実際的に使うかどうかという点についての成長や,望ましい態度や行動の仕方や判定能力の発達という点についての成長も含まれていなくてはならない。判定の確実性をいっそう高めるためには,適当の状態において多くの証拠を見出だしてこれを集める必要がある。なんべんも適当な状態において見られた資質や技能は,ある一つの状態において一度だけ見られた場合よりも,生徒の成長についてずっと確実な証拠になるからである。

 判定の方法は客観的技術と,主観的技術との両方を含んでいなくてはならない。客観的な方法がとれない場合には,教師は慎重な主観的観察にもとづいて判定を行い,その観察を自分の専門的知識に照らして解釈しなくてはならない。教師は,生徒がどういうふうに成長し,どういうふうに学習しているか,という点について,正確な観察ができなくてはならないし自分が生徒について知っていることと照らし合わせて,観察したところを解釈することができなくてはならない。そうして,生徒の成長や発達について,なるべく確実な判断ができなくてはならない。

 生徒の行動の記録をとることは判定に際して,最も重要な技術の一つである。この行動の記録は「学習記録つゝり込み」に書き入れておくのがよい。数人の教師が協力して,学校において生徒と接触し,よい性質を示していると思われる行動の例を集めるのもよい。このつゝり込みの中には,生徒について行った予備テストも入れてよいであろうし,生徒の現在立っている実力の水準に関する,教師の覚え書も入れたい。また課業中時々できた生徒の手になる文書記録や報告に対して,学習の進行中に教師が慎重につけた評を添えたもの,成長の有無に関する公平な解釈,成長の仕方についての参考意見,単元の課程中に生徒が受けたテストの結果の全部,単元についての生徒の意見,そこでした作業,作業を改良する方法,その他の参考意見もあろう。このように積み重ねた記録によって,教師は単元の学習過程にはいった時から,それを終るまでの生徒の進歩の証拠を得ることができる。この記録はいつでもその生徒に見せてよいのであるが,ほかの生徒の目に触れない場所にとじ込んでおかなくてはならない。生徒はこの自分の進歩の記録を,時々課程中に読んで,教師の注意をひいたことがらや,またはその作業をやるについて,自分をもっと進歩させ改善すべきいろいろな方法について,教師と度々相談しなくてはならない。単元の最後の段階にはいる時が来た場合には,教師は,生徒が出発点からどれだけ進歩したか,という点にもとづいて,その成績を評価することができる。教師は,学級の他の生徒や学級の平均と比較して成績の等級をつけるのではない。以上に述べて来たような記録のやり方は,生徒にみずから向上しようとする強い意志を起させるのに大へん有効である。また,これによって教師がはっきり認識し得ることは,個人や集団の成長は個人々々の発展によってきまるのであって,集団の平均成績との比較や,特に優秀な他の生徒の成績との比較によってきまるのではないということである。

 生徒について集めたこの記録の中には,各単元の学習が進められている間に生徒が実現しようとした目標に訂正の印をつけうるようにした表をつくって入れておくとよい。この目標の表は,生徒が集団の中で行う行動について観察したものをもとにして吟味されよう。また読書の記録・読書評・同好会参加・学校の社会活動・筆記試験の成績というようなものを入れておくとよい。

 次のような生徒の活動は,やろうとした学習についてこれを判定する機会を教師に与ええるであろう。

 

 七 単 元 表

○第七学年 (中学校第一学年)

○第八学年 (中学校第二学年) ○第九学年 (中学校第三学年) ○第十学年 (高等学校第一学年)  註一

 社会科の一般目標については,学習指導要領,社会科編(T)第一章序論第二節を参照せられたい。

 註二

 第九学年第三単元「われわれの政治はどのように行われているであろうか」は憲法と政治に関する教育を行うのに適当な問題を取り扱っている。新憲法の実施にともない,国民のすべてが憲法教育を受ける必要があるので,本年度は,第七・八・十学年も,この単元を参考にして,生徒の興味と能力に応じた新憲法に関する学習を指導してもらいたい。